高校生の頃にバイクに出会う人が多い。
学校にナイショで免許を取り、山へ海へ。
夜の隙間へ誘われたりもする。
私は20歳を過ぎてからバイクと出会ったので、遅咲きだ。
けれどその分ハマった。強烈なイメージで、私の生活は一変した。
良い悪いの判断は最期の瞬間に委ねるとしても、その影響は私の家族にも及んだ。
バイクと家族に纏わる思い出は、父と母だけではない。
彼らがどう変化したのか、振り返ってみよう。
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著者プロフィール
名前:みどりのシカ
女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。
20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。
わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。また乗りたい気持ちを抱えてジタバタしています。
私と家族は、そういう関係だった
![私の家族は、そういう関係だ](https://pcxgo.com/wp-content/uploads/2024/06/sika-4th-2_R.jpg)
『家族とバイク』というと、家族皆でバイクを楽しんでいる風景を思い浮かべるかもしれない。
父が大型バイクを所有し、母は子育てが一段落してバイクに復帰。バイクが2人の縁を紡いだのかもしれない。
子供はその影響で125ccスクーターや250ccフルカウルに乗っている。
カーポートには、バイク屋のようにバイクが並ぶさまを想像するだろう。
けれど、私の家族の場合はそうでは無かった。
バイク熱と言うものがあるのなら、私が感染源なのは紛れもない。
私の意図とは別に、静かに広がった。
弟とバイクのカンケイ
私には弟がいる。
姉弟仲はそれほど良くは無い。
けれど私が二輪免許を取り、自分のバイクに乗り始めて程なくして、弟がバイク教習所に通い始めた。
なぜ、彼がバイク免許を取ろうとしたのかは知らないが、私の影響は少なくなかったはずだ。
弟がバイク教習所に通い出したと聞いた時、私はどうしても彼に渡したいものがあった。
一冊の本だ。『幸せは白いTシャツ』
私の人生を変えてくれたあの本を、弟にも読んでもらいたかった。
「これ、良かったら読んでみて」
それだけ言って、本を渡した。
彼が読んでどう感じたのか、そもそも読んだかどうかも知らない。
私と弟は、そういう仲だ。
今でも実家の倉庫には、かつて弟が乗っていた埃まみれの古いバイクがまだある。
20年以上前の250cc。
ここ数年、彼はこつこつとレストアしている。そして動かすことに成功した。誰にも何も言わず試走もしている。
弟とバイクの話をした訳では無いけれど、私はそれを知っている。
そういう仲だ。
姪とバイクのプロローグ
![姪もバイクに](https://pcxgo.com/wp-content/uploads/2024/06/sika-4th-5_R.jpg)
バイクをレストアするほど手先が器用な弟には、娘がいる。
つまり私の姪だ。
つい最近、何を思ったか二輪免許を取りに行くと言い出したらしい。
もちろん、私は彼女を誘ったりはしていない。
彼女とバイクについて話をしたことすら無い。
なのに、感染は広がっていた。
姪のバイク宣言を聞き、あきれ果てたように母は言った。
「就職も決まってないのに、バイクなんて・・・」
しかし、口数の少ない弟とその娘は、バイクの話で会話が盛り上がるようになった。
それまでは、会話の少ない親と娘だったのに。
そういう姪だ。
「一度、その姿を見てみたかった」と聞いて彼女は泣いた
![一度、その姿を見てみたかった」と彼女は言った](https://pcxgo.com/wp-content/uploads/2024/06/sika-4th-4_R.jpg)
祖母は私の知らない様々な事情で悩み、辛い老後を生きていた。
酒に救いを求め、転んでガラス棚に頭を突っ込んだ後、特に病気ではないのに寝たきりとなった。
長い寝たきり生活の中で、たまに私を枕元に呼んではお小遣いを私の手に握らせてくれた。
だけど寝たきりになってから、私は自分から祖母の部屋に行ったことがなかった。
祖母の部屋を素通りして、バイクで出掛ける日々が続いた。
そして自宅看護が困難になり、病院に入院。
フリーターだった私は、忙しい母に代わって祖母の付き添いをよくした。
ある日、祖母は言った。
「あなたがバイクで出かけていくエンジンの音を、いつも聞いていましたよ。」
「一度、その姿を見てみたかった」
その言葉を思い出すと、今でも胸がつまる。
写真の一枚でも、なぜ祖母に見せてあげられなかったのか。
もっと部屋を訪ねて、話を聞いてあげられなかったのか。
バイクで自由を手入れた私は、許せなかったのだ。
病気でもないのに、自由に生きることを諦めてしまった祖母のことを。
どんな事情があったかも知らないまま。
「バイクは手放すなよ」と彼は言った
![「バイクは手放すなよ」と彼は言った](https://pcxgo.com/wp-content/uploads/2024/06/sika-4th-1_R.jpg)
もう家族では無いけれど、おまけとして元夫の話を続けようか。
彼と出会ったのは、沖縄ツーリングに行った行き帰りのフェリーの中だった。当時は、東京から沖縄行きのカーフェリーが運航していた。週に往復1便程度だったか。
沖縄からの帰りのフェリーで、行きのフェリーで見かけた顔に再開し話をした。
彼は自動車免許もバイク免許も持っていなかった。教習中に教官と揉めて途中で辞めたらしい。
後から解ったことだが、彼は今で言うところのDVで、時々暴れる人だった。理由はつまらないことばかり。例えば、車の運転をしている私にこう言うのだった。
「運転できるからっていばるんじゃねー」
は?なんてくだらない男。心の中でいつも思っていた。
そんな彼が、結婚初期に言ったのだ。
「バイクは手放すなよ」
自分に乗れないものに乗れるのが羨ましいのだと言った。
そんなこんなで困難な歳月を経て、めでたく離婚。2人で灯り消して、2人で扉を閉めた。
彼は右へ、暗い路地へ向かって歩き去り、私は左へ。ガエルネのブーツにアライのヘルメット、TT250のエンジン音を響かせて、明るい未来へ走り出したのだ。
しかし結局、私はバイクを手放してしまった。
彼の言葉に逆らった訳では無いけれど、そういうことだ。
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