第3章:「一度、その姿を見てみたかった」と聞いて彼女は泣いた | PCXでGO!
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第3章:「一度、その姿を見てみたかった」と聞いて彼女は泣いた

chapter3-top バイク女子

高校生の頃にバイクに出会う人が多い。

学校にナイショで免許を取り、山へ海へ。

夜の隙間へ誘われたりもする。


私は20歳を過ぎてからバイクと出会ったので、遅咲きだ。

けれどその分ハマった。強烈なイメージで、私の生活は一変した。

良い悪いの判断は最期の瞬間に委ねるとしても、その影響は私の家族にも及んだ。

バイクと家族に纏わる思い出は、父と母だけではない。

彼らがどう変化したのか、振り返ってみよう。

著者プロフィール

名前:みどりのシカ

女性だけどバイクに魅せられた。20歳で初めて自転車に乗れるようになり、その2年後に中型二輪免許取得。きっかけは片岡義男「幸せは白いTシャツ」と三好礼子氏との出会い。

20代の頃、ほぼ毎日オートバイに乗っていました。遠くは四国、沖縄まで旅をしました。

わけあってオートバイを手放してから、かなりの年月が経過。また乗りたい気持ちを抱えてジタバタしています。


私と家族は、そういう関係だった

私の家族は、そういう関係だ

『家族とバイク』というと、家族皆でバイクを楽しんでいる風景を思い浮かべるかもしれない。

父が大型バイクを所有し、母は子育てが一段落してバイクに復帰。バイクが2人の縁を紡いだのかもしれない。

子供はその影響で125ccスクーターや250ccフルカウルに乗っている。

カーポートには、バイク屋のようにバイクが並ぶさまを想像するだろう。




けれど、私の家族の場合はそうでは無かった。

バイク熱と言うものがあるのなら、私が感染源なのは紛れもない。

私の意図とは別に、静かに広がった。


弟とバイクのカンケイ

私には弟がいる。

姉弟仲はそれほど良くは無い。

けれど私が二輪免許を取り、自分のバイクに乗り始めて程なくして、弟がバイク教習所に通い始めた。

なぜ、彼がバイク免許を取ろうとしたのかは知らないが、私の影響は少なくなかったはずだ。



弟がバイク教習所に通い出したと聞いた時、私はどうしても彼に渡したいものがあった。

一冊の本だ。『幸せは白いTシャツ』

私の人生を変えてくれたあの本を、弟にも読んでもらいたかった。

これ、良かったら読んでみて

それだけ言って、本を渡した。

彼が読んでどう感じたのか、そもそも読んだかどうかも知らない。

私と弟は、そういう仲だ。




今でも実家の倉庫には、かつて弟が乗っていた埃まみれの古いバイクがまだある。

20年以上前の250cc。

ここ数年、彼はこつこつとレストアしている。そして動かすことに成功した。誰にも何も言わず試走もしている。

弟とバイクの話をした訳では無いけれど、私はそれを知っている。

そういう仲だ。



姪とバイクのプロローグ

姪もバイクに

バイクをレストアするほど手先が器用な弟には、娘がいる。

つまり私の姪だ。

つい最近、何を思ったか二輪免許を取りに行くと言い出したらしい。

もちろん、私は彼女を誘ったりはしていない。

彼女とバイクについて話をしたことすら無い。

なのに、感染は広がっていた。

姪のバイク宣言を聞き、あきれ果てたように母は言った。

「就職も決まってないのに、バイクなんて・・・」



しかし、口数の少ない弟とその娘は、バイクの話で会話が盛り上がるようになった。

それまでは、会話の少ない親と娘だったのに。


そういう姪だ。



「一度、その姿を見てみたかった」と聞いて彼女は泣いた

一度、その姿を見てみたかった」と彼女は言った

祖母は私の知らない様々な事情で悩み、辛い老後を生きていた。

酒に救いを求め、転んでガラス棚に頭を突っ込んだ後、特に病気ではないのに寝たきりとなった。

長い寝たきり生活の中で、たまに私を枕元に呼んではお小遣いを私の手に握らせてくれた。

だけど寝たきりになってから、私は自分から祖母の部屋に行ったことがなかった。

祖母の部屋を素通りして、バイクで出掛ける日々が続いた。



そして自宅看護が困難になり、病院に入院。

フリーターだった私は、忙しい母に代わって祖母の付き添いをよくした。

ある日、祖母は言った。

「あなたがバイクで出かけていくエンジンの音を、いつも聞いていましたよ。」

一度、その姿を見てみたかった

その言葉を思い出すと、今でも胸がつまる。

写真の一枚でも、なぜ祖母に見せてあげられなかったのか。

もっと部屋を訪ねて、話を聞いてあげられなかったのか。



バイクで自由を手入れた私は、許せなかったのだ。

病気でもないのに、自由に生きることを諦めてしまった祖母のことを。

どんな事情があったかも知らないまま。



「バイクは手放すなよ」と彼は言った

「バイクは手放すなよ」と彼は言った

もう家族では無いけれど、おまけとして元夫の話を続けようか。


彼と出会ったのは、沖縄ツーリングに行った行き帰りのフェリーの中だった。当時は、東京から沖縄行きのカーフェリーが運航していた。週に往復1便程度だったか。

沖縄からの帰りのフェリーで、行きのフェリーで見かけた顔に再開し話をした。

彼は自動車免許もバイク免許も持っていなかった。教習中に教官と揉めて途中で辞めたらしい。

後から解ったことだが、彼は今で言うところのDVで、時々暴れる人だった。理由はつまらないことばかり。例えば、車の運転をしている私にこう言うのだった。

「運転できるからっていばるんじゃねー」

は?なんてくだらない男。心の中でいつも思っていた。



そんな彼が、結婚初期に言ったのだ。

バイクは手放すなよ

自分に乗れないものに乗れるのが羨ましいのだと言った。



そんなこんなで困難な歳月を経て、めでたく離婚。2人で灯り消して、2人で扉を閉めた。

彼は右へ、暗い路地へ向かって歩き去り、私は左へ。ガエルネのブーツにアライのヘルメット、TT250のエンジン音を響かせて、明るい未来へ走り出したのだ。



しかし結局、私はバイクを手放してしまった。

彼の言葉に逆らった訳では無いけれど、そういうことだ。


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